中学を出てすぐに親父(実父)の下で修行(*1)を始めて2年を数えた頃私は、
仕事の上でどうしても必要なので普通自動車1種免許を取る事に。
しかしこの頃はバブル景気(*2)の真っ最中で大忙し!
しかもこの年から、親父と叔父(父の実弟)の勧めも有り夜間定時制の工業高校に通い始めたばかりだった。
挙げ句親父は自分が操れないくせに最新のワイヤカットNC放電加工機(*3)を買うとぬかしやがる。
勿論私をアテにしての事だ。(その私もNCなど触った事すらないと言うのに!)
生来努力家ではない私にとってこの状況は地獄の責め苦だった。
「どこまで俺を追い詰めたら気が済むんだー!」
叫びたい気持ちを押し殺しての下校途中、
何度金山橋(*4)から下を走る列車に身を投げ掛けた事か・・・(うそ)
「てみゃぁ、なぁ〜にモタモタやっとるでゃぁ! ゼニだってタダでにゃぁぞ!!」
などとコテコテの名古屋弁でうざられ(←コレも名古屋弁か?)ながら卒検3回目(T_T)にしてようやくパスし、
免許証を手にしたのは誕生日を3ヶ月近くも過ぎた真夏のクソ暑い日だった。
BOOWYの"Marionette"(*5)が流行ってたっけ。
学校からの帰りに閉店間際の本屋で、
「どのクルマ買おうかな〜♪」なんてニヤニヤしながら自動車誌を立ち読みするのは至福の一時だった。
・・・で、選んだのがコレ。
ニッサン サニークーペ Rz−1(アールズィー・ワン) / TWINCAM NISMO
DOHC16バルブ/4気筒/1600cc/自然吸気 と、何ら特筆する所の無い普通のマシン。
同クラスなら大方はTOYOTAの「カローラ/レビン」「スプリンター/トレノ」辺りにする所だろうが、
「皆と同じ」って言うのが大嫌いな私はあくまでコレなのだ。
「目立ちたい」「羨まれたい」「コレで女の子をナンパしたい(笑)」などと言う「色気」は更々無い。
マイナーでも良い。とにかく「皆と同じ」なのが耐え難い程に嫌なのだ!
今にして思えば私の「マイナー嗜好」はこの頃からだったのかも知れない。
いや、もっと昔からだ。恐らく私自身も記憶に無い程幼い頃からだったのだろう。
そのマイナー嗜好は、現在の愛馬 VT250/ゼルビス へと繋がって行くのである・・・(?)
或る日、親父が私に尋ねた。
(不気味なニヤニヤ笑いを浮かべながら)「おみゃぁ、車買うつもりきゃぁ?」
私は親父にRz−1の写真を見せ、購入の意思を告げた。勿論自分の貯金をアタマにしてである。
すると親父はこう言い放った。
「たぁーけ!昨日今日に免許取ったばっかの奴が新車みてゃぁな百年はやぁわ。俺の車乗っとけ!!」
自分の金で買うし、維持もちゃんとするから問題無いのではないか?と食い下がったが問答無用だった。
こうも言われた。
「月賦(死語。現在では大抵「ローン」と言う)でモノ買う奴がクルマの維持費なんぞ出せる訳にゃぁて。」
悔しかった。悔しくて涙がこぼれた。だが親父の言う事は正しかったと思う。
口は悪いがそれは親父の精一杯の愛情だったのかも知れない。(どうかな?)むしろ今では感謝している。
だがその時は「悔しさ」しかなかった。ぶちキレた私は以降数年間、「貯金の鬼」と化したのであった。(苦笑)
(*1)修行
: 父の商売である金属加工業を手伝いながら、そのノウハウを教わった。
周囲からは「親父さんの跡を継ごうなんて立派だねぇ。」などと誉められたものだが、
実は高校へ行くのが嫌で仕方なかっただけ。(笑)
(*2)バブル景気
: 1980年代後半〜1990年代初頭に掛けて見られた好景気。
その熱狂振りは「異常」と言う他は無く、
高級車やブランド品が飛ぶ様に売れ、地価や株価は上がりまくった。
無論そんな景気がいつまでも続くはずは無く、実体の無い経済は低迷し、現在に至る。
膨れ上がり、間も無く消滅した経済状況を「水の泡(=bubble)」に例え、
後にこう呼ばれる様になった。
お陰でウチは儲かったけどな。(^m^)
(*3)ワイヤカットNC放電加工機
: 真鍮や銅などで造られた糸状の電極線を陽極(+)、
ワークテーブル上に取付けた被加工物を陰極(−)とし、放電によって焼き切って行く加工機。
コンピュータによるNC(numerical control=数値制御)により、
マイクロメートル(1mmの1/1000)単位の精密加工を可能にする。